日本画|磯貝 洋子/Yoko ISOGAI オヨのぐだぐだ通信(89)

磯貝洋子

パチもんの行方

2016/08/02

東京五輪のエンブレムのパクリ疑惑から、気になることがある。
作品の善し悪しではなくて、"オリジナル"ということだ。疑惑を擁護するわけでは無いけれど、世界中、毎日、新しいものが考えられれば、同じようなものが無いほうが、珍しいのかも知れない。

少し前、音楽番組で、Remix(リミックス)特集をやっていた。
リミックスとは、複数の既存曲を再構成させて、新しい曲を創る手法らしい。

最近は、絵画でも、リスペクト、オマージュなど、当たり前の言葉になっている。私なんか、サッカー選手が対戦相手に 「リスペクトしてます。」なんて言っている感じなんだけれど。

盗作、引用、リスペクト、オマージュ、サンプリング、バッタもん、パチもん…。う~ん、何だろう?何でもあり?


独創性な創造も、同時代性というか、似た時代に生きれば、似た考えから生まれ、似たものが出来上がる気がする。
真似てもいない表現に、「あ~○○みたいね」なんて言われて、不愉快な気持ちを持った人も多いことだろう。

そもそも、デッサンでいえば、
花を描けば、実物の花の模写をしている。学生なら、より正確に写し取る訓練をするだろう。
その後、"自分なりの創造性"が無ければ、写真機より劣るということになる。

たとえ、自分なりの創造性を以ってしても、自分らしい表現として、自作のアレンジに固まってしまうことも多いような。

自分らしさ、とか、オリジナルとか、難しいものだ。まして、進化し続けるなんて…。才能のなさに落ち込みそう…ミューズが降りてこないかな。


タイトルのパチもん
(パチもん=パチもの とは、主に高級ブランドの偽物を意味する。)

10年以上前、宝石商をしている知人から、「どんなモノでも、コピーするよ」などと、言われ、偽物はイヤだなと思ったのに、断りきれず、某フランクMューラーの数字の形のストラップを作ってもらった。
しかし、偽物は偽物なんだ、デザインを生み出したことの価値を、愚弄している。こんなモノ、頼んだ自分が恥ずかしい。おまけに、24金製のストラップのチャームだけじゃ、恥ずかしく無くても使えない。
どこかに押し込んで行方不明。

とんだ無駄遣い?それとも勉強代?

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